キオクとキロクとミチシルベ

気になるコトのキオクとキロク

ファッションの原体験 その1

自分自身を振り返ってみて、お金・時間・労力を割いている割合の多いモノの中に「ファッション」がある。こんなことを言うとさぞオシャレな人間と思われるかもしれないが、そうではない。

 

オシャレと思われたい人間なのだ。

 

いや、正確に言うとそれも違う。ただ単にダサいと思われたくないのだ。服でバカにされたくないのだ。浅はかだとは思うけれど本音なので仕方がない。このスタンスが私のファッションに対しての原点。こう考えるに至った、今も記憶に残る強烈な経験がある。

 

 

洋服についての一番古い記憶は小学生のころ。その頃の私は、洋服は母親が買ってきてくれたものを着ていたし、それに対して不満もなかった。もちろん一緒に買いに行くときもあったし、買う前に母親は必ず私の好みを聞いてくれたものだ。両親はいまだに洋服には無頓着だが子供である私に対しては不自由なく与えてくれていた。

 

当時の私の洋服に対するこだわりは
「動きやすいか / 暑いか / 寒いか / 軽いか」
などの機能面が第一であった。

小学校の高学年になってようやく
「プリントの好き嫌い / この色が好き / このメーカーが好き」
などのデザインにこだわりを持ったと記憶している。

そういえば小学校高学年の時にJリーグの発足があり、一大ブームとなった。みんな自分の応援するチームを決めて、筆箱やらシャーぺやらグッズを集めていたな。例にもれず私も鹿島アントラーズの上下揃いのジャージを親にねだったものだ。

そうした幼少期を経て中学に進学。私は自宅から自転車で30分ほど離れた私立中学に通っていた。当時は感じていなかったが、中学受験を経て私立中学に通わせてくれていた両親を本当に尊敬する。

中学に通い出して数ヶ月が経った頃、学校が休みの日に同級生と遊ぶことになった。同級生の家の近くの公園で待ち合わせ。私は何も考えずに自転車で待ち合わせに向かった。今となっては何をして遊んだのかも記憶もないが一通り外で遊んで疲れて、友人宅に上がらせてもう事になった。その友人は自分の部屋を与えてもらっていて、その部屋はオシャレに関心がない俺が見てもオシャレだった。

 

長くなりそうなのでつづきは次回。

(つづく)