キオクとキロクとミチシルベ

気になるコトのキオクとキロク

ファッションの原体験 その3

(前々回前回からの続き)

 

こうして私はファッションにのめり込んでいった。とはいえ強烈な劣等感からのスタートである。服屋に行く勇気はもちろんの事、友人に相談することもできず、ひとまずは本屋に行って友人宅で見た雑誌を買って来て穴が開くほど読んだ。当時はアメカジ全盛期で誌面には「ヴィンテージデニム」「アイリッシュセッター」「裏原系」「ハイテクスニーカー」などのワードが満載だった。

その後ようやく気持ちを奮い立たせて一人でアメ村にあった某セレクトショップで人生初めて自分の小遣いで洋服を買ったのはおよそ1年後の事だった。当時に接客してくれた店員のお兄さんは劣等感にまみれて斜に構えているガキンチョ相手でもちゃんと向き合ってくれて、洋服に対する劣等感を和らげてくれた。おそらくだけど、もしあのショップじゃなく古着屋とか裏原系のブランドとかに入っていたら再び打ちのめされていたことだろう。当時のそういったショップはなんせ初心者に優しくなく、店員さんもなんか怖かったもんな。

 

・・・とまぁこれが私のファッションの原体験である。文字にするとなんともネガティブで面白みもないが事実なので仕方がない。この体験が根底にあるのでいまだに自分のことをオシャレだなんて微塵にも思わないし、いまだに劣等感はある。故に「ダサいと思われたくない。」が頭から消えないのだ。

 

さてさて、ということで中学〜高校はアメカジ系やNOWHERE系にどっぷりだった。その後はノームコアの流れからフレンチカジュアルやモード、ドメブラ、ハイブランドに至るまで様々な変遷を辿ることになるのだが、こうやって思い返すと私の"カッコイイ"の根本には幼少期に劣等感を抱きながら羨望の眼差しで眺めていたアメカジスタイルが根付いているんだなと思う。女子ウケしないのはわかっているが、やはり良い色落ちの501にレザージャケットとブーツを合わせたラギットなスタイルをみると「かっこえぇぇ」と思う。

久しぶりにリジットからデニムを育ててみたくなって来たな。。。

ファッションの原体験 その2

(前回からの続き)

 

その友人のオシャレな部屋には服はもちろん、オシャレな雑貨やインテリアであふれていた。そして本棚には月刊のファッション雑誌が綺麗に整理されて並べられていた。

ともすればその友人は自身のこだわりが詰まった自分の部屋を見せて自慢したかったのかもしれない。その思惑は見事にハマることになる。私をはじめ招かれた数人の友人は口々に「すげー」「おしゃれ」「さすが」とその部屋の主を称賛し羨望のまなざしを送ることとなった。

そこからは主を中心にファッション談義。部屋にあった当時のファッション誌「Boon」や「Cool Trance」などを広げながら、その部屋にある友人が持っているアイテムの解説を興味津々で聞いていた。
「このLevi'sは47モデルっていって・・・」
「これはNikeのAirMax95で・・・」
「次に狙ってるスニーカーは・・・」
分からないなりにも必死に話題に取り残されないように「へぇ~」「なるほど」と盛り上がっていた。

 

一通りファッション談義も落ち着き、誰からともなく「そろそろ帰るか」という雰囲気になり帰り支度をしていた時、その瞬間は突然訪れた。

 

「トニーも、もう少しオシャレに気を使った方が良いと思うよ」

 

その友人の一言を皮切りに、一緒にいた他の友人も「うんうん」「俺もそう思う」「だよね」と続く。次第に「その場で一番ダサいのは私」という雰囲気が充満していき顔が熱くなっていく。
早く帰りたい一心で私は「おぅ」とだけ返事をした。冷静を装ってはいたものの、13歳にショックを与えるには十分の破壊力だった。


その友人はもちろん、周りの友人にも悪気があった訳ではない。なんせその時の私は逆立ちしてもオシャレなんて言える格好ではなかった。
近所のスーパーで買った英語プリントのTシャツに何の変哲もないジーンズ。足元は普段から学校に履いて行っている白いスニーカー。
もちろんシルエットなんて概念もなく、サイズは「キツくなく快適」を基準に無頓着に選んだものだった。友人の言葉通りオシャレに気を使ってはいなかった。

でもお気に入りだったんだ。
もちろんオシャレだとは思っていなかった。でもダサいとも思っていなかった。
この服を着てることが恥ずかしい事だとは思ってもいなかった。

 

自宅に帰った私は部屋着に着替えて、数時間前までお気に入りだったTシャツを
捨てた。

 

(つづく)

ファッションの原体験 その1

自分自身を振り返ってみて、お金・時間・労力を割いている割合の多いモノの中に「ファッション」がある。こんなことを言うとさぞオシャレな人間と思われるかもしれないが、そうではない。

 

オシャレと思われたい人間なのだ。

 

いや、正確に言うとそれも違う。ただ単にダサいと思われたくないのだ。服でバカにされたくないのだ。浅はかだとは思うけれど本音なので仕方がない。このスタンスが私のファッションに対しての原点。こう考えるに至った、今も記憶に残る強烈な経験がある。

 

 

洋服についての一番古い記憶は小学生のころ。その頃の私は、洋服は母親が買ってきてくれたものを着ていたし、それに対して不満もなかった。もちろん一緒に買いに行くときもあったし、買う前に母親は必ず私の好みを聞いてくれたものだ。両親はいまだに洋服には無頓着だが子供である私に対しては不自由なく与えてくれていた。

 

当時の私の洋服に対するこだわりは
「動きやすいか / 暑いか / 寒いか / 軽いか」
などの機能面が第一であった。

小学校の高学年になってようやく
「プリントの好き嫌い / この色が好き / このメーカーが好き」
などのデザインにこだわりを持ったと記憶している。

そういえば小学校高学年の時にJリーグの発足があり、一大ブームとなった。みんな自分の応援するチームを決めて、筆箱やらシャーぺやらグッズを集めていたな。例にもれず私も鹿島アントラーズの上下揃いのジャージを親にねだったものだ。

そうした幼少期を経て中学に進学。私は自宅から自転車で30分ほど離れた私立中学に通っていた。当時は感じていなかったが、中学受験を経て私立中学に通わせてくれていた両親を本当に尊敬する。

中学に通い出して数ヶ月が経った頃、学校が休みの日に同級生と遊ぶことになった。同級生の家の近くの公園で待ち合わせ。私は何も考えずに自転車で待ち合わせに向かった。今となっては何をして遊んだのかも記憶もないが一通り外で遊んで疲れて、友人宅に上がらせてもう事になった。その友人は自分の部屋を与えてもらっていて、その部屋はオシャレに関心がない俺が見てもオシャレだった。

 

長くなりそうなのでつづきは次回。

(つづく)